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沿革概要

1977~1995年

内科学第三講座は、本学学生定員増加に伴う大学整備拡充事業の一環として、1977年7月に新しく開設された講座で消化器、代謝疾患を専門とした。初代辻井正教授の指導下に新設講座としての制約を克服し、栄光あるパイオニアを目指して努力してきた。開講時は十数名の医局員で出発したが、毎年数名、ときには十数名の入局者を迎えることができ、大きく成長してきた。当初、病棟は北1階と南1階に分散され、定床わずか19床で出発したが、1981年9月病院本館の完成に伴い、北病棟4階で定床60床となった。これと時を同じくして研究室は現在の臨床研究棟に移り、3つの研究グループ(胆汁酸グループ、糖尿病グループ、急性肝不全グループ)が編成された。胆汁酸グループは肝・胆道疾患における胆汁酸代謝、血清胆汁酸測定の意義から、胆汁酸の血中動態、胆汁うっ滞の病態生理と治療、胆汁酸の肝細胞への取込み機構へと研究テーマを移し、病態検査学教室 岡本康幸氏(前中央臨床検査部教授)との共同研究により肝細胞レベルで詳細な検討を重ねた。この共同研究はアミノ酸と肝発癌、肝癌に対するdibutiryl cyclic AMPの効果に関する基礎的研究へと発展した。糖尿病グループは糖尿病患者の血液検体を用いる2,3-DPG、グリコヘモグロビンの測定に始まり、血小板凝集能の検討、慢性肝疾患における低酸素血症の病態生理の研究へと発展していった。急性肝不全グループはウサギ実験モデルを用いて急性肝不全の病態と治療に関して種々の角度から基礎的研究を続け、多臓器病変の防止をめざした。


1981年、文部省科学研究費「肝腎症候群の成因と病態に関する基礎的ならびに臨床的研究」における班研究を機に、プロスタグランジン(PG)測定法を確立した植村正人(故)らが肝腎症候群と腎プロスタグランジン(PG)の関係を中心に研究を進めることになり、慢性肝疾患の低酸素血症と肺機能の研究は血中PGの測定を加えることによりさらに発展した。


内視鏡検査については開講当初から上部消化管内視鏡検査と腹腔鏡検査に重点を置いてきたが、1981年には中央内視鏡室が発足し、内地留学の成果をもとに中山雅樹(現西奈良中央病院副院長)が胆膵領域の内視鏡検査・治療を開始し、翌年には松村雅彦(元地域医療学教授)が食道静脈瘤の硬化療法に着手することとなった。この結果、教室は中央内視鏡室(現中央内視鏡・超音波部)の業務の中枢を担うこととなり、これらの手技は次々とスタッフに継承され、現在に至っている。


1981年には杏林大学より戻った岡本新悟(元助教授)を中心に、内分泌グループがスタートした。多数の興味ある症例を集積して知見を増やし、次第に院内外の広い層から多くの紹介を受けるようになった。また、1982年にはスウェーデン、カロリンスカ研究所から迎えた石坂重昭(元本学寄生虫学教室教授)を中心に、免疫グループが誕生した。抗体産生機序とその調節系の研究から、肝炎、アルコール性肝障害、原発性胆汁性肝硬変などの各種肝病態の免疫学的解析ならびに治療へと発展し、免疫・遺伝子研究グループ結成への基礎を作った。1988年ドイツ留学より帰国した福井博(前教授)を中心にエンドトキシン研究グループが結成され、エンドトキシン測定法から、エンドトキシン、マクロファージ、サイトカインと肝障害の関係へと発展した。さらに1988年には九州大学の内地留学から帰った竹川隆により心療内科の診療が開始された。


この他、文部省科学研究費の班研究に端を発したアルコール性肝障害の研究は臨床例の分析から免疫学的機序の検討、エンドトキシンとの関連などグループを越えて続けられた。また、臨床的研究としては腹水の病態生理と治療、C型肝炎のインターフェロン治療、特発性門脈圧亢進症の病態、脂肪肝の病態生理、食道・胃静脈瘤の内視鏡的治療、高齢者の消化器疾患、慢性関節リウマチの消化管合併症、食行動異常症などについて研究グループが結成され、一連の研究が続けられた。


第一線病院の内科医として地域医療に貢献するためにはプライマリーケアに重点をおいた教育が必要である。そこで、総合的な観察力と正しい思考力を養う目的で開講後間もなく関連病院集談会が設立された。この集談会には教室と各関連病院が輪番制で興味ある症例を持ち寄り、徹底的な討議がなされた。この集談会で検討された症例のうち抜粋53例が開講十周年を機にPOSに倣ってまとめられ、「症例を考える」と題して1987年に刊行された。さらに、1995年3月には辻井正教授退任記念誌として、続編である「症例を考えるpart 2」を刊行した。


ところで辻井教授は1990年には第32回日本消化器病学会大会会長を、1993年には第29回日本肝臓学会総会会長を務められ、さらに1996年には日本消化器病学会理事長に就任された。院長職、学長職を兼任されながらのご活躍であり、教室員にとってこの上もない励みとなった。


また、初代の助教授 田村雅宥氏は1985年4月奈良教育大学教授(保健管理センター)に就任され、退官後は奈良文化女子短期大学教授を経て、2005年3月まで同大学学長として多忙の日々を送っておられた。引き続き助教授に就任された森田倫史氏は1989年1月奈良県庁保健環境部に出向され、2004年3月まで9年間にわたり奈良県福祉部健康局長として県医療行政の頂点に立って活躍された。